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「他山の石」は、ニュースや会社の文書でよく目にする言葉です。ところが、X(旧Twitter)を見ると、「対岸の火事」と取り違えられることが多いと指摘する投稿や、「自分とは無関係」という意味で使われている例を見たという投稿、「対岸の火事と他山の石は、モノとしては大して変わらないのに意味が真逆」とぼやく投稿などがありました。字面だけでは意味がつかみにくい言葉だといえるでしょう。
この記事では、文化庁の「国語に関する世論調査」(平成16年度・平成25年度)と、文化庁の国語番組「ことば食堂へようこそ!」の台本、文部科学省のクイズ、コトバンクに収められた国語辞典・故事成語辞典の説明、漢文の解説サイトなどをもとに、他山の石の本来の意味、出典の詩、どのくらいの人が誤解しているのか、失礼にならない使い方を整理しました。あわせて、この言葉を誌名にした戦前の個人雑誌についても紹介します。
他山の石の意味:よその山の粗い石で、自分の玉を磨く
他山の石は「たざんのいし」と読みます。よその山から出た質の悪い石でも、自分の宝石を磨く砥石には使える、というたとえから生まれた言葉で、「他人の誤った言行や、つまらない言行も、自分を磨く助けになる」という意味です。
国語辞典と故事成語辞典は、どう説明しているか
小学館の『デジタル大辞泉』は、他山の石を「よその山から出た、つまらない石。転じて、自分の修養の助けとなる他人の誤った言行」と説明しています。用例は「他社の不祥事を他山の石として会計の透明化をはかる」で、補説には「質の悪い石でも玉を磨くのに役立つということから」とあります。ここで大事なのは、手本にする相手の「よい行い」ではなく、「誤った言行」が材料になっている点でしょう。
『精選版 日本国語大辞典』も、「自分の石をみがくのに役にたつほかの山の石の意」としたうえで、「自分の修養の助けとなる他人の言行。自分にとって戒めとなる他人の誤った言行」と書いています。日本での古い使用例としては、江戸時代前期の儒学者、熊沢蕃山の『集義和書』(1676年ごろ)の「他山の石はあらきが故に、よく玉をみがくといへり。君子の徳を大にするものは小人也」が挙げられていました。粗い石だからこそ玉がよく磨ける、徳のある人を大きくするのはつまらない人物だ、という考え方です。
『故事成語を知る辞典』は、意味を「他人のつまらない行動や、自分とは直接の関係がないものごとも、自分の行動の参考にできることのたとえ」としています。そのうえで、「他人のよい行動から学ぶ場合に使うのは、本来は誤用。しかし、最近ではよく見られる使い方」と、はっきり注意書きをしていました。
『ことわざを知る辞典』の説明は、使われ方の移り変わりにも触れています。かつては主に、小人(つまらない人物)の言行を見て自分の徳を高めるという文脈で使われていたものの、今日では「他山の石とする」という形で、直接かかわりのない者や遠く離れたところで起きた事例から学ぶ意味で用いられる、という整理です。つまり、他社の不祥事や外国の出来事から学ぶ、という今の使い方は辞書の上でも認められています。一方で、「尊敬する人のよい行いを見習う」という使い方は、どの辞典も本来の意味として載せていません。
文部科学省の子ども向けクイズ「言葉、この意味な~に?」でも、他山の石の答えは「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」でした。選択肢には「他人の持ち物は自分の持ち物より良く見える」「他人は他人、自分は自分」「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」が並んでいて、辞書には「他人のつまらない言行でも、自分の行いの助けとなる」と説明しているものがある、と補足されています。
出典は中国最古の詩集『詩経』の「鶴鳴」
他山の石のもとになったのは、中国最古の詩集『詩経』の小雅(しょうが)に収められた「鶴鳴(かくめい)」という詩の一節です。漢文の解説サイト「Web漢文大系」によると、『詩経』は305編からなり、孔子が編集したといわれる詩集とされています。
原文の「它山の石」と、「錯」「攻玉」の読み方
鶴鳴は二つの章からなり、どちらの章も最後に「它山之石」という句が出てきます。中国語の百科サイトに載っている原文では、第1章が「它(他)山之石、可以為錯」、第2章が「它(他)山之石、可以攻玉」で終わります。「它」は「他」と同じ字で、「它山」は「ほかの山、よその山」という意味です。Web漢文大系は第2章の結びを「它山の石も、以て玉を攻(みが)く可し」と書き下し、「攻」はここでは「みがく」と読む、と注を付けていました。「攻む(おさむ)べし」と読む解説もあり、書き下しの読み方は一つに決まっているわけではありません。
第1章の「錯」は、玉を磨くための砥石を指します。同じ百科サイトの注では、「錯」は礪石(といし)で玉器を打ち磨くことができるもの、「攻玉」は玉石を彫り磨いて器にすること、と説明されていました。石はあくまで玉を磨く「道具」で、石そのものが玉に変わるわけではない、という点がポイントです。
では、この詩はもともと何を言おうとしていたのでしょうか。百科サイトによると、詩の主題については昔から見方が分かれていて、隠れ住む賢い人を王が登用すべきだと遠回しに勧める詩だ、という解釈もあるそうです。現代の研究者の一人は、鶴を隠居した賢人に、「它山之石」を他国の賢人にたとえた詩と読んでいる、と紹介されていました。
一方、日本でよく知られる「つまらない人物も自分を磨く材料になる」という読み方は、宋の時代の朱熹『詩集伝』が引く程子(程頤)の解釈に近いものです。程子は、玉の温かくなめらかな質は天下で最も美しく、石の粗さは天下で最も悪いが、玉どうしをこすり合わせても器にはならず、石で磨いてはじめて玉は器になる、と述べました。そして、君子が小人と交わり、理不尽な目にあうことで、反省し、心を鍛え、道理を身につけていくのと同じだ、と続けています。ただし百科サイトは、これが詩の本来の意味かどうかは完全には確かめられない、とも書き添えていました。
文化庁の番組台本「ことば食堂へようこそ!」も、他山の石は『詩経』の古い話に由来し、「よその山から出た粗悪な石も自分の宝石を磨くのに利用できる」ことから、「他人のつまらぬ言動や行動も自分の人格を育てる助けとなる」という意味で使われてきた、と解説しています。
文化庁の世論調査では、本来の意味を選んだ人は約3割
他山の石が本当に誤解されやすいのかは、文化庁の「国語に関する世論調査」で確かめられます。平成16年度と平成25年度の2回、同じ言葉について意味を尋ねていて、数字の変化も追うことができます。
平成16年度と平成25年度の結果を並べると
平成16年度の調査は、全国の16歳以上の男女3,000人を対象に、平成17年1月14日から2月7日にかけて個別面接で行われ、2,179人(72.6%)から回答を得ました。他山の石をどの意味で使っているかという質問への答えは、次のとおりです。
- 他人の誤った言行も自分の行いの参考となる(本来の意味):26.8%
- 他人の良い言行は自分の行いの手本となる:18.1%
- 両方の意味で使う:5.5%
- どちらの意味でも使わない:22.4%
- 分からない:27.2%
文化庁はこの結果について、本来の意味を選んだ人は本来と異なる意味を選んだ人より多いものの、「分からない」と同じくらいの水準で、「どちらの意味でも使わない」も2割を超えた、とまとめています。
平成25年度の調査は、平成26年3月に、中央調査社に委託した個別面接で実施されました。対象は全国の16歳以上の男女3,473人で、有効回答は2,028人(58.4%)です。結果は、本来の意味が30.8%、「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」が22.6%、両方が4.5%、「全く別の意味」が6.2%、「分からない」が35.9%でした。
二つを比べると、本来の意味を選んだ人は26.8%から30.8%へ4ポイント増えましたが、本来と違う意味も18.1%から22.6%へ増えています。「分からない」は27.2%から35.9%へと、むしろ大きく増えました。なお、4番目の選択肢は平成16年度が「どちらの意味でも使わない」、平成25年度が「全く別の意味」と言い回しが違うため、22.4%から6.2%への変化をそのまま比べるのは適切ではありません。この点は、文化庁の資料の選択肢の文面を見ると確かめられます。質問の仕方も、平成16年度は「どの意味で使っているか」、平成25年度は「どちらの意味だと思うか」と少し違っていました。また、文化庁の資料の百分比は小数点第2位を四捨五入しているため、合計がちょうど100%にならない場合があると注記されています。
年代でこれだけ違う:10代は「良い手本」と思う人が多い
平成25年度の調査を年代別に見ると、本来の意味を選んだ割合は50代が37.5%で最も高く、30代が23.7%で最も低くなりました。反対に、「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を選んだ割合は、16~19歳が37.8%と、ほかの年代より高かったと報告されています。平成16年度と比べると、本来の意味を選んだ割合は16~19歳、20代、40代、50代で高くなった、とも書かれていました。
平成16年度の調査でも、16~19歳と20代では、本来と異なる意味を選んだ人が本来の意味を選んだ人より多い結果でした。また「分からない」は、20代から40代で最も多い答えになっていたそうです。若い世代では誤解が多く、働き盛りの世代では「分からない」が多い、という傾向が読み取れます。
同じ調査では、ほかの言葉も尋ねていました。平成25年度の「世間ずれ」は、本来の「世間を渡ってずる賢くなっている」が35.6%、「世の中の考えから外れている」が55.2%で、平成16年度(51.4%と32.4%)から逆転しています。他山の石は、本来の意味がかろうじて上回っている言葉だと位置づけられるでしょう。
平成25年度の結果の概要には、他山の石の欄の横に「動画」の表示があり、文化庁がこの言葉を解説する動画を公開していたことがわかります。文化庁の国語番組「ことば食堂へようこそ!」にも、他山の石を取り上げた回の台本が残っています。なぜ誤解されやすいのでしょうか。番組の台本は、他山の石は文字だけを見ると「よその山の石」としか読み解けず、知識で補わないと理解が難しいこと、日常生活であまり使われなくなったことを理由に挙げています。そのため、本来とは違う「他人の良い言動は手本になる」と解釈する人が多かったり、意味が「分からない」人が多くの年代で20%~30%にのぼったりしているのだろう、という説明です。台本には、先生をほめるつもりで「他山の石」と言った教員の前から、先生がむっとして立ち去る場面まで描かれていました。
使い方の注意:ほめ言葉にはならない
他山の石の中身は「誤った言行」や「つまらない言行」です。そのため、使う相手と場面を間違えると、ほめたつもりが相手を見下す言葉になってしまいます。ここでは、正しい例文と、避けたい言い方を並べてみましょう。
正しい例文と、目上の人に使うと失礼になる言い方
辞書や解説記事に載っている、本来の意味に沿った例文は次のようなものです。
- 他社の不祥事を他山の石として会計の透明化をはかる(デジタル大辞泉)
- 先日A社が行った謝罪会見は世論からの批判の的となり、多くの会社にとっての他山の石になるだろう(マイナビニュース)
- 彼の失敗を他山の石としてみんなで精進しよう(同)
- 人の失敗を笑ってすまさず、他山の石とできた人こそが次の成功者となるものだ(Precious.jp)
どれも、材料になっているのは誰かの失敗や不祥事です。文学作品の使用例としては、『故事成語を知る辞典』が、スウェーデンで愛鳥教育を小学校の正課に取り入れていることを「これは他山の石である」と書いた中西悟堂の文章(1980年)を挙げています。また『ことわざを知る辞典』は、日本文化を論じるときにフランスの例を持ち出すのは「他山の石にはなるかもしれない」と述べた桑原武夫の文章(1961年)を紹介していました。どちらも、失敗というより「直接かかわりのない遠くの事例から学ぶ」という、今の使われ方の例です。
反対に、避けたい言い方の典型が、目上の人のよい行いや言葉に向けて使うケースでしょう。小学館の女性誌サイトOggi.jpは、後輩が書いたメールの「今後は、社長のお言葉を他山の石として、自戒いたして参ります」という一文を誤りの例に挙げ、社長に失礼な言い方になると解説しています。Precious.jpも、「〇〇部長の仕事に対する取り組み方には感じ入るばかりです。部長を他山の石として頑張っていきたいと思います」をNG例とし、部長に「あなたのやっていることはつまらないことだけど」と言ったも同然だ、と指摘していました。
注意したいのは、相手の失敗が本当に教訓になる場合でも、本人や目上の人に向かって言うのは避けたほうがよい、という点です。マイナビニュースは、上司の失敗に対して他山の石を使うと、上司の失敗を引き合いに出すことになり失礼だ、と説明しています。見習いたい相手には「〇〇さんを見習って」「お手本にさせていただきます」と言えば、誤解なく気持ちが伝わります。
対岸の火事・反面教師・人のふり見て我がふり直せとの違い
他山の石とよく混同されるのが「対岸の火事」です。マイナビニュースは、対岸の火事を「自分には関係がなく、苦痛や災難を及ぼさない様子」を表す言葉だと説明し、教訓になる他山の石とはまったく意味が違うとしています。Precious.jpも、前者は他人の事例から学びを得ること、後者はただ傍観して学ぼうとしないことだ、と違いを整理していました。他人の出来事を指す点は同じでも、そこから学ぶか、無関係と見なすかで、向きが正反対になるわけです。Xで「意味が真逆なのはやめてほしい」とこぼす投稿があったのも、この紛らわしさのせいでしょう。
「反面教師」は、悪い見本として反省や戒めの材料になる物事や人を指す言葉で、Precious.jpによると中国の政治家、毛沢東の言葉に由来します。他人の悪い面から学ぶという点で、他山の石と最も近い言い換えだといえます。
「人のふり見て我がふり直せ」は、解説によって位置づけが分かれていました。マイナビニュースは、他山の石とまったく同じ意味で使える類語として紹介しています。一方でPrecious.jpは、「他人の行為を見て、よいものは自分もまねて、悪いものは気をつけよ」という意味だとし、よいことを見習う意味を含む点が他山の石との大きな違いだ、と説明していました。『唐書』に由来する「人を以て鑑と為す」についても、Precious.jpは、手本にすべき言動を含むところが他山の石との違いだとしています。迷ったときは、相手のよい行いに触れる場面では他山の石を使わない、と覚えておけば安全です。
マイナビニュースは対義語として、優れた人にあやかろうとする「爪の垢を煎じて飲む」、優れた徳による教育を受ける「薫陶を受ける」を挙げていました。どちらも、よい手本から学ぶ言葉です。他山の石を「良い手本」の意味で使ってしまう誤用は、ちょうどこうした言葉の意味と取り違えている状態だといえるでしょう。英語には完全に同じ表現はないものの、「Learn from others’ mistakes.(他人の失敗から学びなさい)」のように言い表せる、とも紹介されていました。
戦前、『他山の石』という名の個人雑誌があった
他山の石という言葉は、昭和の初めに、ある新聞記者が自分の雑誌の名前にしたことでも知られています。平凡社の『世界大百科事典』の項目にも、第二次世界大戦に向かう日本で反戦を主張し続けた個人雑誌の一つとして、桐生悠々の『他山の石』(1934年)が挙げられていました。
桐生悠々が1934年から発行した雑誌の中身
名古屋市図書館の「なごやの偉人伝」によると、桐生悠々(本名・政次)は1873年に金沢市で生まれたジャーナリストです。下野新聞、大阪毎日新聞、大阪朝日新聞、信濃毎日新聞などを経て新愛知新聞の主筆を務め、1928年に再び信濃毎日新聞の主筆に招かれました。1933年8月11日、軍部の防空演習を批判する社説「関東防空大演習を嗤(わら)う」を発表したことがもとで退社し、名古屋に移っています。
名古屋の戦争と平和の資料館「ピースあいち」のメールマガジンによると、悠々は名古屋読書会を組織し、1934年6月に「名古屋読書会第1回報告」を出して、月2回の発行を始めました。第14回目から誌名を「他山の石」に改め、洋書の翻訳紹介を中心に、縦19センチ、横13センチ、30ページほどの冊子を、毎回300~450部、定価50銭で主に会員向けに発行したそうです。静岡県立大学名誉教授の前坂俊之氏の記事は、1934年12月に改題し、1941年9月まで合計177冊を刊行したと書いています。
反戦・反軍の時事評論が注目されると、治安当局の検閲が立ちはだかりました。ピースあいちの記事によれば、「反戦思想醸成」「軍部の行動歪曲」「和平機運の醸成」などの理由で発行禁止になった回数は、1941年9月の廃刊までの7年間で24回にのぼります。1935年3月5日の「広田外相の平和保障」をはじめ、1936年の「言論自由の再実現」、1937年の「治国平天下の前定要件」、1938年の「支那に対する我認識不足」などが発禁になりました。
悠々は廃刊にあたり「他山の石廃刊の辞」を書き、1941年9月10日に亡くなっています。名古屋市図書館は、喉頭がんのため死去したと記していました。前坂氏の記事によると、1987年9月に不二出版から復刻版が出され、177冊のうち見つからなかった4号を除く173冊が収められたとのことです。事前検閲で手元に残った原稿などをもとに、伏字全体の3分の1が元どおりに復元されたとも書かれていました。世の中の誤りを自分たちが磨かれるための石として示し続けた、という意味で、誌名と中身がよく重なる雑誌だったといえるかもしれません。
まとめ:他山の石で押さえたい5つのポイント
他山の石は、よく使われるのに意味を取り違えやすい言葉です。最後に要点を確認しておきましょう。
- 他山の石は「他人の誤った言行やつまらない言行も、自分を磨く助けになる」という意味。他人のよい行いを手本にする意味ではない
- 出典は『詩経』小雅「鶴鳴」の「它山之石、可以攻玉」。よその山の石は、玉を磨く砥石として役に立つというたとえ
- 文化庁の平成25年度調査で本来の意味を選んだのは30.8%。「良い手本」の意味が22.6%、「分からない」が35.9%で、16~19歳では「良い手本」が37.8%と多かった
- 目上の人のよい言葉や行いに「他山の石とします」と言うと、相手の言動をつまらないものと言ったことになり、失礼にあたる
- 対岸の火事は「自分には関係ない」で意味が逆。近い言い換えは反面教師。見習いたいときは「お手本にします」と言えばよい
言葉の由来を知っておくと、ニュースや文書で他山の石を見かけたときに、書き手が何を伝えたいのかがはっきり読み取れます。自分で使うときは、学ぶ材料が誰かの失敗なのか、よい行いなのかを一度確かめてから使ってみてください。